アカシックレコードとは 記:アカシックレコード研究委員会 | ||||||||||||||||||||||
アカシャとも呼ばれる、宇宙の全ての現象を予め記載したデータバンクのことです。 あなたがいつどこで何をするか、いつ生まれどう生きるいつ死んでどう転生するか等が全て書かれているのです。 いうなれば、「大宇宙の生成」という劇のシナリオが全て記載されているわけです。 仏教ではこれを「無量寿光」といい、「カルマの法則」もこの一端をあらわすものです。 イエスは「わたしと父とは1つである」と述べています。(ヨハネによる福音書-10章30節) エドガーケイシーなどの預言者や能力者たちがアカシックレコードにアクセスし、ここから一部の情報引き出して世に伝えていました。 アカシックレコードの把握については 本来はアカシックレコードを読み取る預言者にお願いするものなのですが、それはなかなか万人に廉価でというわけにはいきません。 しかし、アカシックレコードも無秩序に書かれているわけではなく、「一定の法則」に基づいて記載されているのです。 アカシックレコード研究委員会では、アカシックレコード能力者のご協力の下、その「一定の法則」を次々に解明することを目的に発足されました。その解明した法則をもとに開発されたのが、 二人の縁の深さ鑑定であり、「主役脇役」です。 |
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「主役脇役」アカシックレコードで、あなたの人生は既に決まっている。 | ||||||||||||||||||||||
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[未来は決まっているんでしょうか?私が何時結婚して何時死ぬか?なんてことは分かるのですか?] |
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「未来は決まっているか?」という質問については、これだけは言えます。 未来に何が起こるかと言うシナリオは決まっています。 実はこの世の中も演劇と基本的には同様の構造といえます。 演劇と同様、誰が何時何をどのようにするかというのは それが「アカシックレコード」というシナリオに記載されているのです。 我々は知らず知らずのうちにその「アカシックレコード」通りの行動をしているのです。ただ、それが演劇と決定的に異なるのは、もし我々がそのシナリオを事前に知ってしまうと我々はそのシナリオとは異なる行動をしてしまう点です。 たとえば、「あなたが2002年5月2日に新宿でバスに轢かれて死ぬ。」というシナリオを知ってしまったらどうします?絶対にその日にその現場に行きませんよね。 それでは困るわけです。「アカシックレコード」通りに行動してくれないと困るのです。したがって、どんな能力のある預言者でもそんな具体的な予言はできません。許されないのです。逆にいえば、そんな具体的な予言は信用性が無いのです。 したがって、ノストラダムスの大予言のように曖昧なものにならざるを得ないのです。 したがって、私の鑑定でも先ほどの例で行くと「2002年4,5月頃あなたに事件や事故病気等の悲劇が起こる可能性があります。」位しか出ないのです。 これらのことを逆説すると、「未来は決まっていない。シナリオが出来ているだけ。 そのシナリオに反する行動をすることは可能である。」ことになります。 ただ、「今までの歴史上そのシナリオに反する行動をすることに成功したものはいない。」ことは断言できます。 この「アカシックレコード」は大変公平になるように精緻に作られています。 あとえば、仕事で成功したものは身内運に恵まれないとか、前世で人殺しをしたものは現世で殺される役や病気に苦しむ役に回されたり。 決してそれれの配役は懲罰的なものでなく、公平を基準にしています。どう配役したら最も公平か?の観点から決められます。したがって、どんなに現世で良いことをしたからといっても、来世で良い役が巡るとは限らないのです。現世で、裕福ならば来世では貧乏になる役が巡るのです。それが公平だからです。 その意味で、自分の現在の配役が恵まれていないからと妬みや恨みを抱くのは論外、筋違いであることはお分かりでしょう。 結局、あなたが何時結婚して何時死ぬかは明確にお答えできないのです。 せいぜい、「2002年頃は異性運が良いので結婚相手がみつかる可能性が高い。 2040年頃は運気が落ちるので病気や事故に遭う可能性が極めて高い」位の回答しか出来ないのです。 |
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[自殺はどんな不利益をもたらしますか?] | ||||||||||||||||||||||
自殺は、自分の指や腕を切り落とすのと同じ事です。あなたが、自分の肉体を切り落とすことです。そのため、霊体(魂)しか存在しなくなります。肉体がないため他人に自分の気持ちを伝えようとしても伝えられず、動きたいと思っても足が無いので自由に動けません。手足がないので、好きなこともできません。草や木と同じです。でも草木はそこに体があるため他の人から認識でき愛情を受けることができます。ところが霊体だけではそこに体が無いため他の人に認識されず愛情を受けることすらできません。死んだら即座に霊界に行けると考えるのは大きな間違いです。多分自殺する場合はあなたの運が低調期の時でしょうが、運が悪いときは何をやっても裏目に出ます。自殺しても、自殺時のあなたの苦しい状態が続くのです。しかも他の人に見られないために、その苦しい状態を改善してくれる援助者も現れないのです。しかも、苦しいという感情が残り成仏して霊界に行くこともできません。 | ||||||||||||||||||||||
[堕胎はどんな不利益をもたらしますか?] | ||||||||||||||||||||||
この世は一種の劇や小説であり、そのシナリオがあるところに記載されています(そのシナリオを「アカシックレコード」(米国の予言者エドガーケイシーによる)または、「Gシナリオ」といいます。)。そのシナリオにおいて、それぞれ誰がいかなる役をするを決める時に一定の基準があります。それは、公平であるということ、プラスマイナスゼロということです(陰陽論)。その配役如何もきわめて公平になされているのです。してみると、ここに堕胎した者と堕胎された者がいた場合に、来世の配役を決める場合にどう振り分けたら公平と思いますか?そうです。来世において悪い役があてられるのはいうまでもありません。その悪い役の程度ですが、もし堕胎しなかったら生じたであろう不利益(経済的困窮、社会的困窮)と同程度の不利益は覚悟して下さい。堕胎したことによる不利益は単に来世の配役上の不利益だけでは有りません。あなたの残りの人生にも不利益を与えるのです。有名な例では島倉千代子さんの例があります。それまで仕事が好調だった彼女がある時以降急に不運に見舞われることが続きました。占い師に相談しても、理論的には好調期にあるはずなのになぜか不運が続く。よく調べてみると彼女は数年前に堕胎していたことが判明。このようなことは島倉さんに限らずよくあるのです。堕胎は刑事罰にあたらないので、安易になされがちですが、カルマの法則からいくと殺人と何ら異ならないのです。その報いは来世または残りのあなたの現世に確実に訪れます。もう一例を挙げます。ある女性が妊娠しましたが、男に捨てられたため自分で出産後放置し死なせた。また別の男性と知り合い妊娠しましたが、男に捨てられたため自分で出産後放置し死なせた。また別の男性と知り合い妊娠しましたが、男に捨てられたため自分で出産後放置し死なせた。結局4回ほど乳児を死なせて逮捕されました。彼女は男に捨てられることで悪い運を使いましたが、乳児を死なせることでまた悪い運を呼び戻し、結局、新しい男にも捨てられたのです。普通の女性なら2回ぐらい男に捨てられたら悪い運を使い果たし、後は幸福が待っているのに、わざわざ、乳児を死なせることでまた悪い運を増やしていたのです。これでは一生良縁に恵まれません。 | ||||||||||||||||||||||
[戦争で人を殺すのと普通の人殺しの違いは?] | ||||||||||||||||||||||
この世は一種の劇や小説であり、そのシナリオがあるところに記載されています(そのシナリオを「アカシックレコード」(米国の予言者エドガーケイシーによる)または、「Gシナリオ」といいます。)。そのシナリオにおいて、それぞれ誰がいかなる役をするを決める時に一定の基準があります。それは、公平であるということ、プラスマイナスゼロということです(陰陽論)。その配役如何もきわめて公平になされているのです。してみると、ここに殺した者と殺された者がいた場合に、来世の配役を決める場合にどう振り分けたら公平と思いますか?そうです。来世において悪い役があてられるのはいうまでもありません。もっとも戦争でやむなく殺したのだから責任が無いはずでしかも自国には利益になったはずである以上、それではかわいそうだとの意見が多いかもしれません。しかしながら、配役如何の基準は決して懲罰的なものでなく単に、公平の観点から、前回は良い役をしたのだから次回は悪い役をするのが公平として決められるのです。したがって、普通の殺人と戦争での殺人は来世の配役で不利益を受ける点では同じです。来世では、戦争で殺される役や突然の事故死の役、生まれながら難病を患っている役等が与えられるでしょう。したがって、普通の殺人と戦争での殺人は来世の配役で不利益を受ける点では同じです。普通の殺人と戦争での殺人で異なる点は、天国地獄如何です。普通の殺人では恨み妬みのためとか、自己のエゴのためになされるでしょう。戦争では、やむなくむしろ他人のために殺人をしています。すなわち殺害動機、心の中(魂)に大きな違いがあります。天国地獄如何は、この魂が澄んでいるか汚れているかで決まるのです。したがって、普通の殺人を犯した者は地獄に行きやすく、他方、戦争での殺人者は天国に行きやすいでしょう。 | ||||||||||||||||||||||
[食べるために牛豚を殺すのと犬猫を殺す違いは?] | ||||||||||||||||||||||
この世は一種の劇や小説であり、そのシナリオがあるところに記載されています(そのシナリオを「アカシックレコード」(米国の予言者エドガーケイシーによる)または、「Gシナリオ」といいます。)。そのシナリオにおいて、それぞれ誰がいかなる役をするを決める時に一定の基準があります。それは、公平であるということ、プラスマイナスゼロということです(陰陽論)。その配役如何もきわめて公平になされているのです。してみると、人は一度は死ぬという苦痛を受ける以上、自分の血となり肉となるためになした最小限の殺生は意味のある殺生であり、トントンであって何ら非難される要因ではありません。しかし、それ以上の殺生はあなたの死をもっても償えず(トントンとならず)、来世の配役にあたって加味されます。その殺生の対象がたとえ、虫や草木であってでもです。もちろん、妊娠中絶が来世の配役にあたって加味されるのはいうまでもありません。あなたの 余命のうちにその殺生に対する報いを十分あるならばその配役上の不利益は来世には持ち越されませんが報いが不十分ならば、確実に来世の配役に影響します。たとえば、殺したら殺される役(たとえ、戦争でやむなく殺した場合もそうです。)、相手の身体を傷つけたら健康が優れない役になるのです。それが公平な配役だからです。その殺生の対象がたとえ、虫や草木であってでもです。 | ||||||||||||||||||||||
あるアカシックレコード能力者の死 | ||||||||||||||||||||||
ある予知能力者がいました。あるとき、近親者が、カレンダーのとある日に○マークで囲ってあるのを見つけました。「これは何かの予定があるの?」と聞くと、私の死ぬ日というのです。でも、どういう原因でどういうふうにしぬかまではわからなかったようです。その運命の日の数日前突然その人は脳出血で倒れました。 そのまま意識不明。そして意識の戻らないまま、その運命の日に死去しました。予めどういう原因で死ぬことが分かれば事前対策もできたはずでしょうが、残念ながらそこまで分かることが許されないからです。そこまで分かってしまっては、事前防衛策を講じられて、アカシックレコードどおりの日に死ななくなってしまうからです。 なおこの場合、事前に死ぬべき日が予知できたのは、死に方と関連しているようです。もし、死に方が交通事故などであるなら、その日が死ぬことを知っている人は誰も怖くて外出なんかできないでしょう。したがって、そんな場合は事前に死ぬべき日は分かり得なかったでしょう。 |
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ある病気 | ||||||||||||||||||||||
ある人がアカシックレコード能力者によって、今年の夏から秋にかけて重篤な病気になるので注意してくださいと言われました。どんな病気かまではわかりませんでした。その人はもともと持病がいくつかあって、それが悪化するのではと思い、事前対策を講じ、また他の病気の面でも入念に検査をし万全の対策でその時期を迎えました。これであの予言は当らなくなるはずだと確信して。でも、その運命の時期、突然その人はちょっとした擦り傷が元で感染症にかかって入院、それで済めばよかったのですが、その病院で医師の医療ミスで重篤な病気に陥ってしまいました。 事前にある悪いことを予知できたとしてもそれを逃れることはできないということでしょうか。 |
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